介護士として生きていく。

こう見えて国体選手なんですよ

社会福祉法人渚会・ちどり園(宝達志水町)で介護福祉士として働く鯰田真由美(なまずた・まゆみ)さん(61)。「若見え」ではなく、不思議と年齢を感じさせない。飾らない、気取らない、素朴。能登人の良さをぎゅっと集めたようなこの人物が、実は、国体選手。

鯰田さんが打ち込んでいるのは競技スポーツとしての「綱引き」だ。子供の小学校のPTAチームに参加したのが始まりで、その後も主に能登のチームを渡り歩き、綱引き歴はおよそ25年。趣味の域をとうに超え、去年の国体では福井県の男女混合チームの一員として出場。見事、優勝を果たした。「もちろんとても嬉しかったのですが、それよりも、もっと上手になりたいという気持ちのほうが大きかったですね」と極めたともいえる結果に満足せず、今も、週3回もの練習に励んでいる。
そんな努力家が、綱引きが好きなのかと問われると少し困った顔になる。「練習のたびに、キツイだろうな、体力が持つのかな?チームのみんなに迷惑をかけないのかなって毎回心配で、うんざりしているんです。好きだとか楽しいとかの気持ちではなくて使命感みたいなものがあって、行かずにはおられないのです」。自分でもよくわからない感情が国体選手を育てあげた。

綱引きとの出会いから数年後に介護の職に就いた。理由はというと「コネ、でしょうか」。40歳ごろまで事務員として働いていた会社を、ワンマン社長の横暴ぶりに耐えかねて退職。新たな職探しに苦戦していたところ「紹介していただいた」のと、自宅から車で5分の近さが決め手となって就職したのだという。「他に選択肢がなかったいわば『消去法』なので介護職に対して思い入れもなく、新人の頃は人間関係にも悩んで、もっと他に向いている仕事があるのではないかと心が揺れたこともありました」。でも、少しずつ仕事の幅が広がり、さらに資格をとったことで自信がついて、いつの間にか迷いが消えていった。今では「ひとりの人間の終盤にじっくりと寄り添うことの、喜びや尊さのようなものをよく考えます」と特養の介護士のだいご味を感じている。

「もしかしたら介護よりも自分の能力が発揮できているのかもしれない」と笑うのが、施設のあちらこちらに置かれている水槽の「メダカ」の飼育だ。もとは入所者が金魚を飼っていたのを、メダカのほうが安くつくのではと何気なく飼い始めてみたのがきっかけで、今では施設のほか、自宅の庭でもなんと1000匹を超えるメダカの世話をしているのだという。「カラフルで、泳いでいる姿にとても癒されるし、生まれたらかわいくてかわいくて気が付いたらこんなに増えていました。時間も気持ちもメダカに縛られて困っているんです」と、介護士としての勤務の合間をぬって、餌やりや水替えに励んでいる。

いつも一番乗りで練習場に入り、仲間を待つ間も熱心に自主トレーニングに励む。休憩時間も率先してコートのモップがけをする姿に「チームのムードメーカーであり絶対に必要な人」と人望を集めている。しかし、鯰田さんは今年を「引退するか見極めるテストの一年間」と心に決めている。「チームの中で、60代の私は最高齢なんです。お荷物にはなりたくないので」。引き際を自分で決める過酷さも、鯰田さんがおっとりと語ると、どこか他人ごとのように響く。一方で、綱を握り続けてきたその指は、第二関節から下がつぶれているかのように太く、手のひらは豆が肥大化するため、時々カミソリで削り取っているという有様だ。言葉よりも手が、多くを物語っていた。
綱引きも1,000匹を超えるメダカの世話も目標があって始めたわけではない。ただ気が付くと抜けられなくなっていた。最後に、また困った顔をして言った。

「綱引きを辞めたら私はどうなるんでしょうね。自分が自分でなくなるような気がします」。