介護士として、生きていく

走る!走る!相談員

社会福祉法人福寿会・ケアハウスまっとう(白山市)の生活相談員として働く原田理(はらだ・おさむ)さん(46)。大学卒業から福祉の現場に立ち続けて約25年。ピシリと伸びた背筋に疲れを微塵も感じさせない明るい笑顔。その源とは?

施設で唯一の生活相談員を務め、介士としても多忙な日々を送る原田さん。「ご家族の相談にのったり、地域のイベントを企画したり、施設の利用をすすめる営業マン的な仕事もしています」。培ってきた知識や情報を総動員してあらゆる方面で活躍するその姿はまさに施設のコンシェルジュ!初めはプレッシャーを感じたという副主任のポジションも、今では「上司から言われるがままじゃなくて、ある程度、自分で決定権を持って働けているので、満足度80%くらいでしょうか」と充実ぶりをにじませる。利用者さんと外出したときの様子を写真にとって記事を書く広報誌の担当も長年担っているそう。

「出世とかあまりピンとこないです。日々の業務とともに次から次へと現れる困難や課題を粛々と乗り越えて、毎日を積み重ねるのが自分の働きかたなんだと思います」。
福祉施設の在り方が問われたコロナ禍に、揺れ続ける保険法。年々厳しくなっていく介護の現場を潜り抜けてきた原田さんの口癖は、意外にも「適当に」なのだとか。「介護において、常に全力を出し続けると泥沼にはまってしまう。だから『手』を抜く適当ではなく『力』を抜いて『適切に当たる』くらいがちょうどいいのだと思っています」と分析する。それでも思わず「こんなに適当でいいのかな」とつぶやいてしまうときがある。そんな時、周りのスタッフから「それでいいんじゃない」という声がこだまのようにかえってくる。原田さんにとって何気ない、でもホッとする瞬間だ。

介護職の夜勤はキツイ―この「常識」はもしかしたら思い込みなのかもしれない。20代半ばごろ、系列の特養施設で夜勤に就いていた原田さん。当時を振り返って大変だったかというと答えは「NO」。「例えば夕方から翌日の朝9時まで勤務して、そのあとは休みになるので、同じような夜勤明けの職員とそのままスキーに行くなど無茶苦茶アクティブに過ごしていました。ボウリングなんかは眠くてスコアはさっぱりなんですけどね、いい思い出です」と懐かしむ。平日の空いている時間帯に病院や買い物に行けるのも便利だったといい「交代制の働き方も考え方しだい、自分しだいでメリットにもなると思うんですよね」。

そして、いま、自らを「変態です」というほど、のめり込んでいるのがランニング。「リレーマラソンのイベントにメンバーとして上司に組み込まれてしまって、断る選択肢がなく…。不安もあったのですが仲間と一緒にワイワイ、というのが性に合ったみたいで楽しかったんです」。今では週4~5回、月間で計200㎞を走りこむ熱の入れぶりという。「ランニングはオン・オフの切り替え装置」というが、同業のランニング仲間と走れば、知らず知らずのうちに「介護談義」が始まり、マラソン大会の開催地が気に入れば、後日、利用者さんたちを連れて行ったりする。知らず知らずのうちにランニングと仕事は結びついている。
今後は、大会での8位入賞とフルマラソンを3時間以内で走る「サブスリー」を目指すのだという。そして「いつかジャーニーランに参加したいと思っています」。ジャーニーランとは、数千kmもの長距離を走りながら旅(=ジャーニー)をすることだ。そんな自分の姿を何度も何度も思い描いてきたのだろう。宝物を差し出すように「ジャーニーラン」と言った。「そのためには相当の練習量と、勤務先と家族の理解が必要で、現実的には難しいと感じています。夢ですね。でもいつか走りたいですね」。