「なぜ山に登るのか」「そこに山があるから―」。そんなフレーズを思い出す。社会福祉法人手取会・大門園(白山市)の太田麗花(おおた・れいか)さん(49)が語る山のエピソードは驚きの連続。山は趣味?恋?生きがい?ぴったりの理由を見つけられないまま、それでも、山に向かう。
太田さんが介護職に就いたきっかけは求職中の職業訓練だという。「初めは経験のあった事務職しかできない、事務職しかしたくないと思っていました。でもハローワークに通ううちに職業訓練でヘルパーの資格が取れるとわかって、将来の祖父母の世話のためにも勉強したらいいかもしれないと受講しました」。これが思いのほか、おもしろかった。「幅広い世代の人と学ぶこと、実習で初めて訪れた福祉施設の様子、すべてが新鮮で楽しかった」といい、2000年4月に現在も務める手取会に入社。のどかな地域性か、利用者も職場の人も優しい人ばかりという。
勤めはじめてから10年間は介護職、現在はケアマネージャーを務める。ケアマネは自分の裁量でできる仕事が多く、時間も規則的な点が魅力的だと感じている。介護職のほうが給料は高いが、太田さんは時短を重視。さらに「職場での有給取得率、ナンバーワン」なのだという。
島田さんが働く時間をやりくりする理由は「登山」だ。「山は父の影響です。幼い頃から弟と一緒に、槍ヶ岳や剱岳といった難度の高い山に連れていかれました。今思えばクレイジーな人ですよね」と笑う。そんな父が57歳の若さで亡くなり「好きなことをやって死ななくてはダメだ」と痛感。遠ざかっていた山の世界へ再び足を踏み入れるようになったという。まずは職場の人と地元の白山へ。弟とかつて父と登った北アルプスへ。「父とこんなことを話した、あれを食べたと色々思い出しますね。私が山に登っているのをきっと喜んでくれていると思います」。
「れいか」の名には父の山への思いが込められている。「当時、人名用漢字でなくて断念したそうですが、本当は山のついた嶺(れい)の字と合わせて嶺花にしたかったと聞いています」と首から下げている職員用の名札を見つめる。
甥っ子や友人の子どもとのハイキングに行くことも楽しいといい、「山の喜びを子供に伝えて、父からもらった恩を次の世代に送れたら」と願う。一方で、単独のテント泊も厳冬期の雪山も心から愛している。白山の百四丈滝への登頂を果たした時は「人生のピーク」とまでの喜びを感じたが、ハードな登山は時にリスクを伴うもの。去年、裏剱から滑落した際は死を覚悟したという。「ケガをしてこのまま山を辞めるのかなと思うときもあります。人に『山が好き?』と聞かれてもよくわからないし、なんで山に行くのかもわからない。でも、気が付いたら山に行っている。自分でも不思議だなと思うけれど、行けば行くほど行きたい山が増えていく」。
勤続23年が経ち、資格をとって副主任からのキャリアアップを勧めてくれる上司もいる。「とてもありがたいのですが昇進は望んでいないです。長年勤めて、週末は登山で連絡がつかないのも許してもらえるような立場になって。もっとお給料をもらおうと思えば違う働き方をすればいいのでしょうけど、山が楽しめるだけのものをもらっているので変わろうと思わないです」と迷いはない。「仕事での精神的な疲労は金曜にピークが来て、週末の山で発散する。体の疲労は山帰りの月曜がピークで週末までには解消されている。精神と肉体のバランスがすごくきれいにとれています」。
ことし、独身で50歳を迎える。「ひとりの時間を存分に味わって生き切っていると自信をもって言えます。私の場合は山でした。こんなんでいいんだ、こんな働き方、生き方もありかと、若い人たちが思ってくれたらうれしいですね」。
生き方も、働き方も自由です
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